まちづくり会社 株式会社まちみとラボでの活動について②
このコラムでは弊社代表・三上靖彦の社内外での活動について連載していきます!
今回は水戸の歴史と、まちなか再生についてです。
地域共通の財産としての歴史に触れる
本業で昔からまちづくりに関わる私の認識では、「地域の魅力は、都道府県ではなく、個別の都市が作る」。それでは水戸とはどのような街なのか。典型的な理系人間だった私にとっては、当然のように日本史は苦手科目の一つでした。それでも学生時代に司馬遼太郎をはじめとする歴史小説はたくさん読んだので、全国区レベルでの戦国・幕末物については、人並みの知識はあったと思います。しかし、地元の水戸の歴史、となると、高校の教科書レベルでした。幼稚園から高校卒業までを、水戸城の三の丸、二の丸、本丸で育ったにせよ。
そんな私が水戸の歴史に興味を持ったのは、映画づくりで地元を盛り上げよう、というプロジェクトに関わったからです。水戸と言えば水戸黄門。最初は黄門様の映画を作ろうと考えました。でも、今でこそ冲方丁の『光圀伝』がベストセラー作品としてありますが、平成18年当時は、優れた原作がなかったことや、黄門様の時代の歴史的な資源が少なく、スクリーンツーリズムに繋がらないこと、などの理由から断念しました。黄門様でなかったら幕末しかない。慶喜公は既に大河ドラマで放映済み。と言う訳で、吉村昭原作の『桜田門外ノ変』の映画化を進めよう、ということになりました。
この過程で、私は初めて水戸の歴史について、深く、深く、勉強しました。最初は黄門様のこと。それから幕末のこと。水戸藩の歴史は、はっきり言って面白い。知れば知るほど新たな謎が生まれ、その奥の深さに感心し、謎解きの面白さも手伝って、嵌ってしまいます。そして結果として益々水戸が好きになる。歴史は地域の人々の共通財産です。水戸市民が水戸の歴史を学び、深く探求することは、水戸っぽとしてのアイデンティティや郷土愛の醸成にとって、とても大切なことだと思いました。
弘道館:徳川斉昭が1841年に開設した日本最大規模の藩校で「水戸学」発展の舞台となった
水戸市立三の丸小学校:現存する弘道館に隣接している伝統校で、弘道館の教育方針を受け継いでいる
水戸市立第二中学校:水戸城二の丸内、「大日本史」編纂が行われた水戸彰考館跡に立地している
改革の先駆けとしての水戸でまちなか再生を目指す
そんな水戸の街の中心市街地が衰退しています。水戸のまちなかの再生なくして、茨城の再生なし。400年以上にわたり広域水戸都市圏の中心地であった水戸のまちなかを、私たちの代で終わりにしてしまっては、ご先祖様に申し訳が立たない。それがまちづくり会社設立の大きな動機です。そして、天孫降臨の日向や奈良・京都、そして富士山や江戸からも鬼門の方角にある水戸の役割は「世直し」。黄門様も斉昭公も慶喜公も、その全ての行動原理は世直しだったと思います。地方都市が著しく衰退する現状を、いかにして打破するか。そのモデルを全国に先駆けて発信するのが水戸の役目。そんな意気込みを持って、私たちは水戸のまちなか再生に向け、真正面から挑戦することにしました。